ではく☆かふぇ

作家・クリエーターと仲間づくりの為の交流スペースです。
<< September 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
質・感・空・間 イガデハク = 伊賀でデザイン博
2018年の開催日!
11月30日・12月1・2日(金土日)に開催
です。

このサイトでは、イガデハク=伊賀でデザイン博の管理人の
”しもやん”のいろいろな思いや作業風景を皆さんと共有できればとおもっております。


ポチッと応援お願いいたします(^^)

後ろめたさとの戦い

カメラマン時代は、理想とセンスで生きていて「ネクタイを締めるのは恥」みたいな風潮がありました。
その一方の世界では「Gパンはいて仕事している人みたいなのは格下」みたいな考え方がありました。

同じクライアント(お客様)の仕事をしている仲間内でこんなにも考え方が違うのかと思いました。偶然、その両方を知ることとなったのです。
私自身は、写真をやっていることに誇りを持っていたので、「格下」みたく言われ方にはすごく抵抗がありました。
しかし、元の世界に対しては「ネクタイをしている恥ずかしさ」もあったのです。
「もう、写真を離れた人」になってしまったんだなと・・・実際カメラを握る日はなくなっていきました。
管理人の原点?^^; | permalink | comments(0) | - | pookmark |

更なる悩みへ

「日本縦断」の撮影旅行から帰ってきて、職探しをしました。将来自分の作品を世に出せる方法・手法を得るには(印刷や展示会の勉強などにも興味がありました)広告代理店がいいと思い、広告代理店に就職しました。

しかし、困った事は過去の写真の仕事が「感覚的」であるのに対し、広告屋では「気配り優先」(=これが世間の常識かも)であった事です。その為、周囲になかなかなじめずに、仕事もうまくいきませんでした。それに「通用する」と思っていた写真のノウハウは、印刷物全体のほんの一部で、ほとんど役に立たないことも分りました。だだ「今やめると、目標もダメになる」と思いやめずに頑張りました。
管理人の原点?^^; | permalink | comments(0) | - | pookmark |

絶頂期(フランス帰り)

帰国後はスタジオに昼間も勤務「若いうちはよいわね」の言葉を行先々で言われました。私に言わせれば「若いも何も関係ないのに・・・」と思っていましたが、十数年してその言葉の意味を知る(爆)

写真スタジオでは、いろいろ学ぶことが出来ました。ただ、どこかで見たようなデザインや雑誌の切抜きを「これと同じ様に」とデザイン側から指示されりのがほとんどでした。現場での表現の基本は相手の望むモノを作ることであり、技術はあらゆるニーズに応えるためのもの。。。自分の作品を発表することではないのです。

再び「自分の作品が撮りたい」と強く思うようになり、ついにスタジオを退社しました。(後で考えるとやめることなかったと後悔していますが・・・)
今度はバイクで日本縦断に挑戦しました。今度も撮り歩きを主体に撮影しましたが、バイクでの移動が主になってしまい(300キロ/日、はほとんどツーリングでした)撮影に時間をかけることが出来ず苦労しました。途中では長野県で高原野菜(白菜・レタスを作っていました)の農家での住込みのアルバイトを約1月行うなど、貴重な体験もできました。

出来上りを見て、技術的にもこなれてきて作品としての出来もまあまあなのですが、「フランスの時の様な興奮」が思い起せない・・・。どこかが違うのです、「緊張感」が足りなかったのか?
管理人の原点?^^; | permalink | comments(0) | - | pookmark |

パリでの想いで

生まれて初めての飛行機に乗った、おまけに英語アレルギー体質(実は英語が出来ない)の私は大阪弁が頼り・・・中継地シンガポールまではみんな大阪弁、飛行機もまた楽し♪でした。ところが中継地、乗換えのシンガポールで周りにいたはずの日本人がいなくなってしまいました。結構オーストラリア・シドニーへの人が多いのですね。急にひとりぼっちになり、とてつもない「緊張」が私を襲ったのでした。

到着後、さらなる試練が私を襲いました。
貧乏旅行の本でノウハウを取得した気分でいた私は、「宿の予約をしないで」パリの地にいたのでありました。その日は雨でしたが傘を持っていませんでした。ずぶぬれになりながら宿を探しました。10数件歩いたでしょうか。。。みんな断られるのです。
そこに、リュックのお兄さんが「どうしたの?宿探しているの」とらしきフランス語(当然理解できない)で話しかけてくれて、濡れた紙に一生懸命ホテルの地図を書いてくれました。しかしそのホテルは先ほど断られたホテルでした。でもそのことが言葉に出来ずに「サンキュー」(フランスなのに・・・)と返すしかありませんでした。この時ほど、「自分の学力のなさ、情けない」と思ったことはありませんでした。
そして、野宿も覚悟した(もう何件か分からない)ホテルでようやく入れてもらえることになりました。結局そこに一月居座ることになりました。

めでたく?現地入りできた私が何をしていたかというと、まずは「美術館巡り」です。そこで見たのは、触ることの出来る距離で見ることの出来る本物の作品の数々そしてそれらを熱心に模写する学生&若者達の姿でした。日本なら絶対にありえない光景(模写や撮影)ですね。
自分の作品に生かせる技術をひとつ見つけました。小さな作品でも大きいフレームに収っている姿を多く見ました。今まで「このサイズならこのフレーム」と誰が決めていたのだろう?かえってその小さな作品が大きく感じられるのです。そしてその中に吸込まれていくのです。その感覚は、今の活動「フレームワーク」にも生かされています。

当然、写真もたくさん撮りました。1日2本ペースで70本使いました。
目指したのは「絵のような写真+撮り歩き写真の融合」です。最初の2日間ほどは全然「乗れてない」写真ばかりでした。なれない景色に目移りして自分のスタイルを見失っていました。しかし日増しに気持とフレームがひとつになっていい写真がたくさん撮れました。


管理人の原点?^^; | permalink | comments(0) | - | pookmark |

絶頂期(写真学校編)

念願の写真学校に入学。もう、カメラマン気分でした。授業は大きな写真部の様、ワイガヤと楽しかった。基礎的・単純な内容ばかりでしたが「そんなものだ」と思ってやっていました。
課題は主に六切りサイズに写真を焼いて黒いボードに貼付けて作品を提出するのですが、私だけ「剥がせる台紙(白)」に自作のレタリングやワープロ(当時は珍しかった)でタイトルを貼付けて提出。先生には困った顔をされました。

私の通っていた学校では撮り歩き=スナップ的写真を軽視する傾向がありました。ライバル校では逆にスナップのゼミまであったそうですから、その違いは何なんだろうと・・・だた個人的には撮り歩きが好きでしたので、高野山までの道をテーマにしょっちゅうバイクで高野山参りをしていました。
深夜に仲間と山門下でたき火をしてお坊さんに呼ばれてお坊さんの部屋で一夜を明かした経験もありました。

そんなある日、求人ボードにアルバイトの貼紙を発見。夜間のスタジオ撮影助手として、勤めることになり新たな世界と現実の厳しさを知ることになったのです。
同じ「基礎」でも、学校と現場とは次元が違っていました。学校での授業内容が全く役に立たないということがはっきりしてしまったのです。現場では当たり前の仕事でさえ「特殊な技術」の様にもてはやされる現実。課題で高得点を得るのもチョットの細工で簡単でした。しかし、いくら高得点でも現場では全く通用しないのです。。。

もう、その環境に存在する意義を失っていました。ある日、地下鉄に揺られてふと思いつきました。「海外で写真を撮らなきゃいけない!」その気持が高まり、後半年の学校を中退し残り半年の学費を渡航費用にあて、生まれて初めての飛行機&海外(パリ)へ出発したのでした。

学校の仲間が、梅田の居酒屋で送別会をしてくれました。最後にみんなで胴上げしてくれたのを今でも懐かしく思い出します。
管理人の原点?^^; | permalink | comments(0) | - | pookmark |

写真との出逢い

僕のいた高校では、部員数が少ないと「部」として存在できなくなる決まりがあり、写真部にいた友達に名前を貸すよう頼まれた。
せっかくだからと、暗室で白黒写真の焼付けを教わりました。ところが、教えるはずの友達も旨く焼けずに、なぜかボケボケの像になるのです。高価な印画紙を何枚もゴミにしました。悔しいのでムキになりいろんな本を読みあさり、毎晩写真焼きの特訓となりました。

使っていたカメラは、ペンタックスME-S、学校の理科の備品で長期間占有していて(要は私物化していた)学校から怒られたこともありました。
学校の行事や、近所の神社を撮っていました。今となっては信じられない話ですが、ピントの合わせ方・露出という意味すら知らず、今思えば「むやみに」シャッターを切っていた。(それでも、写っていたらシアワセでもありました。)

高校2年の後半、進路指導室に貼ってあった写真学校の体験入学会のチラシを勝手に剥がして3年生に混じって体験入学&撮影会に行きました。モデル撮影・・・広い暗室・・・お弁当に・・・額装までしてくれて・・・。無料体験づくし&写真の楽しさに感動。そのときの写真が写真専門誌のコンテストに入選してすっかりカメラマン気取りで、「写真学校にいくぞ」と密かに決意したのだろうか?

高校3年になり、やっと写真らしいものが撮れるようになりました。文化祭では手作りの引き伸し機で写真を焼き、作品展をやりました。卒業アルバムではクラスの写真の撮影も担当しました。もう、プロのカメラマンになったつもり(爆)でした。
管理人の原点?^^; | permalink | comments(0) | - | pookmark |
MOBILE
qrcode
Twitter
RECENT COMMENTS
LINKS
ARCHIVES